>ハックルベリピンの音楽は荒れていた。孤独が担保された厳粛な活気に包まれたそれはまた暗くて寂しかった。マーク・トウェインが残したアメリカ現代文学の金字塔の中の主人公が1990年代の大韓民国のモダンロックに会ったとき、音楽は泣いているのか轟音なのかわからない詩語を脱いで曲がった世界を徐々に掘り下げた。世の中の不条理によく怒っていた彼らの音楽は、そうすれば私たちはその不条理に対抗して何をどうすべきかまで質問して理由した。それはほとんど経験の再構成に近かったが、ましてや作り出したように見える想像の領域さえ、これらの音楽を通過する時は日常の鮮やかさを秘めていた。かつて学校生活が大変なほど憂鬱な子だったチームのメインソングライターイ・ギヨンが外叔父に渡された通気打で初めて音楽に会った話はそれでハックルベリピン音楽の起源だ。新報にある、「ねじれたところで生まれ、誰も知らずに自分だけの道を行った」という「Tempest」の歌詞がハックルベリピン、さらにはイギヨンの作家的告白で聞こえるのだからだ。 3年半に一枚格だったから多少ではない。中途半期のイ・ギヨンはソロプロジェクトも並行したが、それは厳しくスワローの歴史だ。そのようにバンド結成25周年を迎えた7集でイ・ギヨンとメンバーたちは、ここ数年、大変な時期を支えてくれた空と海、道を吟味した前作を過ぎて再び力強く生きていく地上の人(「目」を聞いてみて)と地球の環境(「金星」を聞いてみよう)に視線を向けた。実際「光の雨」という少しは幻想的なアルバムのタイトルはまだ歩かなかったコロナファンデミックの食雲の下、依然としてうめき声中の人々に渡るバンド側の慰めと共感だ。一言で言えば、ハックルベリピン7集はイライラした人間のための光の上に、痛くなる環境のための連帯のアピールにまとめることができる。 6番トラックのタイトル「下へ」は、絶望の物理的な方向ではなく、希望の感情的反響に近いようだ。現在、ハックルベリピンの冒険は怒りではなく調和で行われています。ひとつは冷たい感情の渦で、もうひとつは深く沈んだイメージの柄で。例えば友人が腕に着た画像が鳥に似たことからインスピレーションを得た「赤道黒鳥」のミニマリストギターリーフがディスコビットに会って内気に反転する場面は前者と似合う。一方、空を追求した6集の創法でイ・ソヨンとイ・ギヨンが’夜’と’睡眠’を分けて歌う7集の終盤部は後者に合致する。イ・ギヨンがいつか7集のポイントになるだろうとした’Sunlight’はおそらくその中間どこだろう。懐かしさが付いて幸せが結びついているこの余白の美学はバンド・ハックルベリピンが到達した音楽的現在でもある。 「ロックバンド」ハックルベリピンではない。 2022年のイ・ギヨンはこれ以上自分のバンドをロックのカテゴリーにだけ閉じ込めるつもりはない。例えば伝えようとするメッセージから全光と日差しでいっぱいの7集のために彼はドゥア・リファとカーディビ、ビリー・アイリッシュとテイラー・スウィフト、ウィッケンドを研究した。ラジオヘッドとマルーンファイブ、コールドプレイとミューズがそうだったように、勝利用途ロックの限界を限界として認めたのだ。世間が警戒してきたエレクトロニックとエレクトリック、アコースティック音楽の境界をクリアし、ポップやヒップホップにもいくらでも心を開くという意志を明かしたイ・ギヨンの今回の歩みは5集と6集を経て来て耐性ができた人々にはバンドが経たなければならないもう一つの順番変化、適応ないしは進化で受け入れられるだけだ。内心自分たちの音楽もそんなことになることを望むイ・ギヨンは、いつも「美の基準に忠実な音楽」を聞かせようと努力してきた。孤独で大変な人々の手を握って光に進む音楽を盛り込んだハクルベリピン7集で彼はある程度それを成し遂げたものと見られる。良い音楽という話だ。
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ウェブジン音楽好みy必進
[写真提供=シャレーブル]
(キム・ソンデ大衆音楽評論家>